タレント磯野氏の離婚から人の心の移ろいの切なさを感じてしまう。

タレントの磯野貴理子さんが離婚を発表した。離婚の理由は旦那さんが「自分の子供が欲しい」と願ったことで、金銭的なトラブルや性格の不一致が原因となったわけではない。14年に磯野氏が脳梗塞を発症したときにはしっかりとご対応されており、夫婦としての人間関係は築けていたのだと思う。

一家庭の、二人きりの夫婦の決断に他人があれこれ言う事は野暮以外のなにものでもないが、この出来事は人の心の移ろいによる残酷性という、誰にでも起こりうる悲劇性を感じざるを得ない。

 

磯野夫妻の婚約時の年齢は貴理子氏が47~48歳、旦那さんは24歳ころで、お互いがそれなりの覚悟と考えを持っての結婚だったのではないかと思う。そしてその中の一つに子供のこともあっただろう。高齢に伴う出産にはリスクが伴うからだ。

世間様が、いまさら「自分の子供が欲しい」という旦那に対して、覚悟や考えが足りていなかったと言うのは仕方のない事だと思う。ただ、これが人間の心の移ろいなのだ。

 

本気の覚悟と考えで選択した結婚という決断も、年を重ねるごとに変わる価値観に押しつぶされてしまう。旦那さんは成長の段階で自分が大切にしたいものを見つけ、そしてもう一つの大切な人だった磯野氏と離れる選択をしたのだと思う。今回はたまたま両方を選べなかった。

一方の磯野氏は、どこかこうなる事を予測していたようにも感じられる。若い旦那が変化していく中で、いつか自分から離れていく可能性を感じていたはずだ。

二人の構図は、旦那の成長を見守る完成された嫁と、覚悟はあったが(のびしろのある)未熟だった旦那という結論に集約されるのではないか。

 

人の心は移ろう。自分に素直であるが故に大切なものと決別せざるをえない事がある。共に未熟な者同士であれば、二人三脚の中でさらなる価値観の乖離が生じる可能性もあるだろう。

ただ、世の中にはお互いの価値観を認めあい、いつまでも一緒にいる人たちもいる。できれば、自分はそうでありたいと思ったりする。